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200609032111000.jpg


私が始めて自由に好きなことをしてもいいんだ、自分の為に目標を持ってもいいんだ、という環境になったのが、専門学校時代。
”東京代々木文化服装学院”
専門学校という言葉からイメージされる、気楽な雰囲気ではない。
勿論好きなことを専門にしているわけで、楽しい。今までの学校生活の中で、一番楽しかった。
だが、私の学生時代の睡眠時間は一日2時間程度だったし、
朝の会話は
「オハヨー・・寝た?」
「寝てないよ・・また朝日拝んだ・・」
「4時間ねたよ〜!」
「4時間!いいなあぁ!!」
みたいな毎日だった。
友達と遊ぶ約束をしても、果たされるのは半年後だったり。
コンテストに通った際には、夏休み冬休みも無い。
それでも、同じモノを好きな集団で勉強していられる環境は最高に充実していたと思う。

9月2日 朝日新聞”ニッポン 人脈記「Tokyo・モードぁ
はこんな母校、通称”bunnka"からの記事だった。
全文ではないけど、朝日のHPにも載っていなかったので、一部書き写す。

ファッション界に多彩な人材を輩出する、東京代々木の文化服装学院。
この洋裁学校を、花嫁修業の場からデザイナーの登竜門に変えた女性がいる。
小池千枝(90)。学院の元名誉学院長で、今でも月一回のペースで、若者に個人的にデザインを教えている。

 小池は、学院で裁縫を習い、腕を認められて19歳で先生になった。戦争で学院は閉鎖。終戦を故郷長野で迎え、2年後の47年、再開された母校に呼び戻された。
 母校の教壇に立った小池は、ちょっと失望した。生徒は増えたが、戦前の洋裁教育、花嫁学校の雰囲気のままだったのだ。「これからの時代に必要なのは、お裁縫ではなくてデザイン力だ」。そう考えた小池は51年、日本の教育機関では初のデザイン科を作り、男性に門戸を開放した。
 小池は53年にパリのオートクチュール学校に留学した。今まで教えてきた型紙による裁縫と違い、人の形をした台に布をあてて服を造形する立体裁断の技術を学んだ。同じ教室に後に巨匠となるイヴ・サンローラン(70)、隣の教室にはシャネルを引き継ぐカール・ラガーフェルド(67)がいた。
 帰国後、小池は授業前に「モーニングサービス」の時間を設け、生徒達にパリのファッション誌の情報や生活文化の話しをした。放課後は生徒を連れてジャズ喫茶やボウリング場などで遊びまわった。
 その教え子達に、特に61年に卒業した「花の9期生」の中から、高田賢三や松田光弘、コシノジュンコ、金子功といった、才能あふれるデザイナーが育った。
 小池は言う。「教育とは、一人一人の学生を揺さぶってみる事なの。中から必ず独自な何かが出てくるのだから」
 「早稲田大を卒業後に学院で学び、67年にブランド「ニコル」を創設した松田。「パリ帰りの憧れの先生だったが、授業は厳しくて、手抜きはすぐ見破られた。最後まで考え抜く事を学んだ」と、小池の教えを振り返る。

 コツコツと努力するタイプだった高田は、小池に「数字を忘れろ。物差しを捨てろ」と揺さぶられた。
 「何だ、思いっきり好き勝手にやればいいんだ、と気付いた。それが教えてもらった一番大事なことだった」と高田は語る。

―以下略―


今は当時の円形校舎もなく、都心らしい高層ビルとなった学院。
「モーニングサービス」の時間も今は無い。
授業の挨拶で「ごきげんよう」と終るのは名残か。
小池先生とも直接話したことは無いけれど、会った誰もが「すごい若々しかったよ!」
というくらい、遠めで見てもお元気そうです。

私は、もしかするとこの母校に戻るかもしれない。
時代は変わって、学院も小池先生が教壇に立っていたかつての様子とは大分違ってきているのだと、たまに小池先生の教え子でもある私の恩師に聞いていた。
学院のカウンセリング室は常に3ヶ月先まで予約は埋まっているし、どうやら問題も少なくない。
でも、毎朝一番に教室に行き、先生や、同じように早く来て作業をする友人等と、たまに息を抜いて雑談したり、窓から見える富士山を見に行ったり、窓際に並ぶミシンが朝日でキレイだったり、コンテストの作品作りに追われて、夜まで染色し続けて、手が真っ黒になったり、一本の切れ込みを入れて、思った通りに布が動いてくれたり・・・

完璧な学生生活だったとは思わない。もっと遊んだり、他の事にも目を向けられるコトが出来たら・・と悔やむこともある。
でも、だからこそ、まだ出来るコトがあるかもしれない。
それに、本当に、あの場所が好きなんだ。

文化服装学院
| fashion | comments(7) | trackbacks(2) | chihaya |
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懐かしいね…。
あの頃は本当にタノシカッタ。
| りょう | 2006/09/04 12:12 AM |

まだまだ楽しも!(^-^ゞ
| hagi | 2006/09/04 10:05 PM |

おぉっ!ひさびさにのぞいたら気になる記事が。うちはもう学校に戻る機会はないと思うが、たまには服つくりたいな。卒業以来いっこもつくっとらん。今年中に1着は!
| sachico | 2006/09/04 11:51 PM |

>サチコ
つくりたいよねえ〜(>_<)
でもカワイイ服が売ってると満足しちゃうんだよね。何気に作っても高かったりするし・・;
でもやっぱり作りたいなぁ♪
| hagi | 2006/09/05 10:00 PM |

ォレ罩,覆鵑任垢将来 文化服装学院に
行きたいんです。。

アドバイスとかもらえませんか??
| リョウ | 2008/02/03 2:19 PM |

ショートコメント
| キーE璽 | 2008/08/04 4:50 AM |

ショートコメント
| キーE璽 | 2008/08/04 10:48 PM |










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小池千枝について
小池千枝小池 千枝(こいけ ちえ、1916年 - )は、長野県須坂市の出身で、文化服装学院の名誉学院長。文化裁縫女学校(現文化服装学院)を卒業後、同学院の助手となり、1951年にデザイン科を新設。以後フランス留学などを経て、高田賢三、山本耀司等多くのファッション
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